コラム

マーケティング文脈おける「意味」という言葉の意味についてのメモ

学びの記録
執筆
高橋 孝之
公開日
2023年1月30日
更新日
2023年1月30日

ホジョセンコラムは従来、思考としてある程度整理された状態に到達したことがらについて述べることが多かった。この記事はそうではない。筆者(高橋)が個人で学んでいる最中に感じたことを思うがままにアウトプットしたものであり、体系だってはいない。結論すら明確にあるわけではない。だが、それをアウトプットすることにも何らかの意義があると考えた。とりとめもなく綴っているが、コラムカテゴリ名そのままに「学びの記録」であり、内容の不備や誤解も多々含まれているだろう。その点はご容赦いただきたい。

マーケティング文脈において「意味」という言葉がよく使われるようになった。クライアントとの議論でも頻繁に登場する。ここまでマーケターの口に膾炙するようになったのは、ロベルト・ベルガンティ教授の「意味のイノベーション」がきっかけだろう。

ベルガンティ教授のいう「意味」は、消費者の意思決定基準のことを示している。イノベーションの文脈で使われることが多いため、同時に何らかの斬新さも求められているようだ。ここでの「意味」は、新しく革新的な視点を市場に提供していくことで既存市場をアップデートしていくドライバーとしての役割がある。意味のイノベーションには必ずしも技術的なブレイクスルーが必要ではなく、消費者のパーセプション上の議論にとどまるため、マーケター受けは良さそうだ。古くは(ないしは業界によっては)コマーシャルイノベーションと称され、音部大輔さんがいう「属性の順位転換」も似たような考え方だろう。したがって、ベルガンティ教授の文脈における「意味」は(将来的には)ブランド間で共有されうるものである。その「意味」とブランドとの親和性の強弱が論点になっていくように思う。

一方、当の音部さんは別の意味で「意味」という言葉を使っているようだ。音部さんは「意味」という言葉をブランドに対して使う。ブランドに対して、というのは正確ではないかもしれない。ブランド≒意味と考えている。なんらかのベネフィット(とそれらの土台となる製品機能など)がブランドに「意味」を与える。ここでの「意味」は市場を破壊するとは限らない。ブランドにユニークに付随する消費者の期待そのものが、「意味」である。「意味」そのものが平凡であっても、ブランドに独自性をもたらしている限りにおいてその「意味」に価値が生じる。ブランド名という固有名詞に何らかの「意味」が付随し、一般名詞化していく。これが音部さんの主張するブランディングだ。音部さんの文脈においては「意味」は他のブランドと共有されるべきものではなく、ブランドに固定的な(であるべき)ものである。この点で音部さんとベルガンティ教授の立脚点とは大きく異なるように思う。

2021年に鬼籍に入った榊原清則は、また別の文脈で「意味」という言葉を使った。ドメインだ。企業の事業ドメインには時間・空間的広がりとともにある程度の意味的な広がりが必要であると主張した榊原は、「意味」を製品と社会の相互作用の観点で議論する。事業ドメインの規定がワークするには、内外でコンセンサスが取れている事が必要であるとし、コンセンサスのためには「意味」が重要だ、と論じる。製品の「意味」とは企業が一方的に規定するものではなく、消費者や社会も規定する。「意味」はアンコントローラブルだ。企業が「意味」付けに介入しようと考えるならば、物事の基準となる事物や一定の構造を持った知識に対して相対的なポジションを明確にする必要がある。榊原にとって「意味」とは、基準からの相対的な立ち位置のことだ。「意味」が相対的に規定されるものであり環境は常に変化し続けるものであるから、企業は絶えず「意味」を問い続ける必要がある。この観点では、「意味」はとても脆弱な(「固定的でない」)存在と言える。

マーケティングの議論において「意味」という言葉が出てきたとしても、上述のようにいくつかの異なる意味で使われる可能性がある。クライアントと議論する際であっても、社内で議論する際であっても、自分たちがどういう意味で「意味」という言葉を使用しているのか、誠実に区別する必要があるだろう。

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